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点と点、なるほどなあ、勉強なるわ、楽しみになります、70代のおじんから
太田道灌さんみたいな知性派インテリ武将たちが関東管領上杉家の家風だったんですよね~上杉謙信さん以降の武闘派大名のイメージを浮かべてしまう人のなんと多いことか~そんな歪みを解消する上で太田道灌さんの大河ドラマはありだと思う~
加来先生の解説は為になりますよ☺中西悠理さんの声質が〜心にしみますよ❤
史実と物語をわけて理解出来る、この番組は学びとして最高ですね。ごちゃごちゃにした無責任な動画を垂れ流している人いるので
後番組は正にその状態になってますけどね。。。
「後の先」良いですね。武道、兵法の真髄でしょう。
凡そ、歴史上の成功者は、タクティクス的には「先の先」 ストラテジーに於いては「後の先」をとるようです。
武道、兵法の真髄である、後の先について考えたのですが、神様は人間を創造する際に、殺しすぎを心配なさり、先の先をとりにくく設計したようです。
伊勢宗瑞は取り巻き、軍師に恵まれ過ぎ石原裕次郎みたいな人だな。御由緒六家の黒の多目氏は私の家系だから大変嬉しいです。
親鸞聖人についても紹介してほしいです。藤原北家・日野氏の出身ですから公家ですよね。紫式部も藤原氏と聞きます。
関東で藤原氏といったらあまたの伝説を残した藤原秀郷さんなんだけど~歴史だと平将門さんを討伐したときに少し登場するだけなんだよね~京における源頼光さんみたいな感じかな~?伝説をたくさん残したのに実際の歴史で影が薄い人、特集みたいのをやったら面白いと思う~
歴史の学習は単語や年代の暗記ではなく、起こった出来事の背後にある力を発見して見出すことである。
いつも楽しみにしています。ありがとうございます。
中西さんの進行というか取り仕切り?が、上手いねNHKのアナウンサーかと思ったらフリーなんだ美人だしファンになったわ
テレビ的な表向きのパフォーマンスだとしても、押し付けがましさのない考え方は好感がもてるな。
真田信繁は、大阪の陣の時、幸村と名乗った説あり。遠山景元も、時代劇遠山の金さんのイメージが強いから、世間では遠山金四郎で通っているね。
ジャック・ライアンの初恋の相手は歴史で「生涯の伴侶≒職業」にした…との事何だったかなぁ「恐怖の総和」に書いてあったっけかなぁ…うまいこと言うョね
運営さん流し聞きしたいので、もう少し音量上げてもらうと助かります
大学行って歴史は勉強したかった(^-^;
発症しないんですよね~。⁉️
歴史に限らず、教科書的に書かれた知識の背後には、様々な研究の積み重ねがあり、簡単に真実を見極められない、結果を断言することもできない。小学生ならともかく、中高生くらいになったら、学校の授業でも、そのことを教えるべきだと思います。-私の母校の中高では、教科書をあまり使わない授業が多かった。中学1年の生物の授業で、メンデルの法則を学ぶのに、いきなり生物学会の最新の研究成果をプリントで配布され、新書版の参考書を読まされました。*****その後私は、方法論的アプローチとしては歴史的文献学者の端くれとなり、ウィーンに足掛け15年、資料研究滞在しました。つくづく感じたことは、歴史的事実は、一次資料を、それも印刷して纏められた形ではなく、原典資料を図書館や資料館で直接閲覧しなければ何も分からないということ。オーストリア国立文書館などに行くと、例えば何年の宮廷劇場関係の出納記録などが、ほとんどだれも閲覧していないのではないかと思うような未整理の形で箱に入って並んでいる。オーストリア国立図書館でも同じ。そうしたものを調べていくと、なかったと思われていた資料、一次資料を印刷して纏めた書籍などには掲載されていない資料がたくさん出てくる。-そこまで原典資料に溯って扱わなければ、結局は真実は何もわかりません。自分の本当の専門分野以外は、そこまで原典資料に溯って調べることはできない。というより、研究者でも、大学で学生を教えたり、研究所でも決まった研究プロジェクトに従事している限り、そうした研究はできません。オーストリア国立文書館などに行くと、毎日、何やらの資料を調査しているご年配の研究者がいらしたりするのですが、ああいう方はどういう立場で、どうやって生計を立てているのだろう? と思うことがあります。結局は、リタイアしてからが本当の研究なのか?どこかの組織に属して肩書を得なければ、研究者としては認められない、研究発表の場も与えられない、けれどもそういう立場の人は、実は本当の研究はできていないのだとしたら、研究なんて進みませんよね?-そう考えると、短絡的に実用に利する実学を大学でも教え、人文科学研究を「社会の役に立たない」と切り捨てる日本政府の元では、研究などできないのだと思うばかりです。近年は、歴史は事柄や年代の暗記ではない、出来事の背景を見るべきなどと簡単に言うことが増えているようです。でもそうした人の多くが、二次文献を読み比べて、出来事の背景を単に勝手に想像、推測しているだけなのではないでしょうか?一次資料の原典資料を閲覧するのは、そもそも研究者でなければ不可能なことも多いですが、せめて、一次資料を印刷して纏めたものを紹介し、さらにそこには掲載されていない資料がたくさんあるという事実を教えることが、歴史というものに対する目を養う、はじめの一歩なのではないかと思います。
😁WW
伊勢盛時について何か語っているようで、何も語っていないです。ただの感想を話しているだけでした。
人物像とはワン・アングルだけでは観えて来ませんね。多角的なアングルで観察しないと実像に近付く事は難しい。そもそも、一般的に「知ってる」と云う概念は恐縮ですが「知ってる...つもり」であり全体像の25%程の知識でしょう。専門家・親友でも50%程、親族でも75%でしょう。本人でも85%〜90%位で残りの15%〜10%は自覚してない筈です。それは人間が社会的な人格形成の立場だからだと思います。先述した本人でも気付かぬ15%〜10%の部分は潜在意識に当たるので自覚が無いと考えられる。その事を解り易く表現すると、誰もが自分でも訳の解らぬ行動・言動をしてしまう経験・体験が必ずある筈です。その全ては潜在意識下の出来事と解釈すると納得がいく訳です。この様に歴史・人物・出来事などは多くの資料と多角的な側面で埋めて行かないと、その実情・実態・実体に迫るのは難しい。兎角「知ってる...つもり」の25%の範囲内の理解で人は満足・納得し「知ってる」と表現する事が日常の認識・意識です。逆説的には事実・真実の残り75%はほぼ「知らない」訳で25%の知識で知ってるつもりに成ってるのが厳密な正解なのだと思いますよ。特に歴史分野では科学分野とその点が大きく違い確実性に於いて不十分な要素を多く含んでいると考える。その決め手はリアル・タイムの真実性と数値化が困難である点でしょう。現在では科学技術を使用・利用する事で歴史に新たなメスを入れ、その真実性に迫ってる訳ですね。そう云う意味では芸術に於ける作品は作者の妥協点で完成としてる訳で妥協がある限り、作者に於いては永久に未完成の作品と云う概念なのだろう。それだけ100%は難しい領域なのです。
人物像などというものは、仮に歴史的資料の原典資料を直接調べても、所詮は解釈ですからね。(笑)大きな歴史の流れや、個々の出来事についても同様です。大切なのは、どういう資料をどれだけ調べて判断しているのかを把握すること。それを知らなければ、信憑性も分かりません。
私のコメントを読んでいただくとわかりますが、北条早雲伊勢宗瑞新九郎の解明は、学者たちが知らなかった「伊勢国射和村いざわ」にあります。応仁記を熟読仕切れなかったミスです。歴史には落とし穴があります。学者たちは伊勢の素浪人を「本人が演じたこと」を見ぬくことが出来ず在らぬ方向に解釈しました。伊勢の素浪人は、新九郎自らが、望んだからです。
点と点、なるほどなあ、勉強なるわ、楽しみになります、70代のおじんから
太田道灌さんみたいな知性派インテリ武将たちが関東管領上杉家の家風だったんですよね~
上杉謙信さん以降の武闘派大名のイメージを浮かべてしまう人のなんと多いことか~
そんな歪みを解消する上で太田道灌さんの大河ドラマはありだと思う~
加来先生の解説は為になりますよ☺
中西悠理さんの
声質が〜心に
しみますよ❤
史実と物語をわけて理解出来る、この番組は学びとして最高ですね。ごちゃごちゃにした無責任な動画を垂れ流している人いるので
後番組は正にその状態になってますけどね。。。
「後の先」良いですね。武道、兵法の真髄でしょう。
凡そ、歴史上の成功者は、タクティクス的には「先の先」
ストラテジーに於いては「後の先」をとるようです。
武道、兵法の真髄である、後の先について考えたのですが、神様は人間を創造する際に、殺しすぎを心配なさり、先の先をとりにくく設計したようです。
伊勢宗瑞は取り巻き、軍師に恵まれ過ぎ石原裕次郎みたいな人だな。御由緒六家の黒の多目氏は私の家系だから大変嬉しいです。
親鸞聖人についても紹介してほしいです。藤原北家・日野氏の出身ですから公家ですよね。紫式部も藤原氏と聞きます。
関東で藤原氏といったらあまたの伝説を残した藤原秀郷さんなんだけど~
歴史だと平将門さんを討伐したときに少し登場するだけなんだよね~
京における源頼光さんみたいな感じかな~?
伝説をたくさん残したのに実際の歴史で影が薄い人、特集みたいのをやったら面白いと思う~
歴史の学習は単語や年代の暗記ではなく、起こった出来事の背後にある力を発見して見出すことである。
いつも楽しみにしています。ありがとうございます。
中西さんの進行というか取り仕切り?
が、上手いね
NHKのアナウンサーかと思ったらフリーなんだ
美人だしファンになったわ
テレビ的な表向きのパフォーマンスだとしても、押し付けがましさのない考え方は好感がもてるな。
真田信繁は、大阪の陣の時、幸村と名乗った説あり。
遠山景元も、時代劇遠山の金さんのイメージが強いから、世間では遠山金四郎で通っているね。
ジャック・ライアンの初恋の相手は歴史で「生涯の伴侶≒職業」にした…との事
何だったかなぁ「恐怖の総和」に書いてあったっけかなぁ…うまいこと言うョね
運営さん流し聞きしたいので、もう少し音量上げてもらうと助かります
大学行って歴史は勉強したかった(^-^;
発症しないんですよね~。⁉️
歴史に限らず、教科書的に書かれた知識の背後には、様々な研究の積み重ねがあり、簡単に真実を見極められない、結果を断言することもできない。
小学生ならともかく、中高生くらいになったら、学校の授業でも、そのことを教えるべきだと思います。
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私の母校の中高では、教科書をあまり使わない授業が多かった。
中学1年の生物の授業で、メンデルの法則を学ぶのに、いきなり生物学会の最新の研究成果をプリントで配布され、新書版の参考書を読まされました。
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その後私は、方法論的アプローチとしては歴史的文献学者の端くれとなり、ウィーンに足掛け15年、資料研究滞在しました。
つくづく感じたことは、歴史的事実は、一次資料を、それも印刷して纏められた形ではなく、原典資料を図書館や資料館で直接閲覧しなければ何も分からないということ。
オーストリア国立文書館などに行くと、例えば何年の宮廷劇場関係の出納記録などが、ほとんどだれも閲覧していないのではないかと思うような未整理の形で箱に入って並んでいる。
オーストリア国立図書館でも同じ。そうしたものを調べていくと、なかったと思われていた資料、一次資料を印刷して纏めた書籍などには掲載されていない資料がたくさん出てくる。
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そこまで原典資料に溯って扱わなければ、結局は真実は何もわかりません。
自分の本当の専門分野以外は、そこまで原典資料に溯って調べることはできない。
というより、研究者でも、大学で学生を教えたり、研究所でも決まった研究プロジェクトに従事している限り、そうした研究はできません。
オーストリア国立文書館などに行くと、毎日、何やらの資料を調査しているご年配の研究者がいらしたりするのですが、ああいう方はどういう立場で、どうやって生計を立てているのだろう? と思うことがあります。
結局は、リタイアしてからが本当の研究なのか?
どこかの組織に属して肩書を得なければ、研究者としては認められない、研究発表の場も与えられない、けれどもそういう立場の人は、実は本当の研究はできていないのだとしたら、研究なんて進みませんよね?
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そう考えると、短絡的に実用に利する実学を大学でも教え、人文科学研究を「社会の役に立たない」と切り捨てる日本政府の元では、研究などできないのだと思うばかりです。
近年は、歴史は事柄や年代の暗記ではない、出来事の背景を見るべきなどと簡単に言うことが増えているようです。
でもそうした人の多くが、二次文献を読み比べて、出来事の背景を単に勝手に想像、推測しているだけなのではないでしょうか?
一次資料の原典資料を閲覧するのは、そもそも研究者でなければ不可能なことも多いですが、せめて、一次資料を印刷して纏めたものを紹介し、さらにそこには掲載されていない資料がたくさんあるという事実を教えることが、歴史というものに対する目を養う、はじめの一歩なのではないかと思います。
😁WW
伊勢盛時について何か語っているようで、何も語っていないです。ただの感想を話しているだけでした。
人物像とはワン・アングルだけでは観えて
来ませんね。多角的なアングルで観察しな
いと実像に近付く事は難しい。そもそも、
一般的に「知ってる」と云う概念は恐縮で
すが「知ってる...つもり」であり全体像の
25%程の知識でしょう。
専門家・親友でも50%程、親族でも75
%でしょう。本人でも85%〜90%位で
残りの15%〜10%は自覚してない筈で
す。それは人間が社会的な人格形成の立場
だからだと思います。先述した本人でも気
付かぬ15%〜10%の部分は潜在意識に
当たるので自覚が無いと考えられる。
その事を解り易く表現すると、誰もが自分
でも訳の解らぬ行動・言動をしてしまう経
験・体験が必ずある筈です。その全ては潜
在意識下の出来事と解釈すると納得がいく
訳です。
この様に歴史・人物・出来事などは多くの
資料と多角的な側面で埋めて行かないと、
その実情・実態・実体に迫るのは難しい。
兎角「知ってる...つもり」の25%の範囲
内の理解で人は満足・納得し「知ってる」
と表現する事が日常の認識・意識です。
逆説的には事実・真実の残り75%はほぼ
「知らない」訳で25%の知識で知ってる
つもりに成ってるのが厳密な正解なのだと
思いますよ。特に歴史分野では科学分野と
その点が大きく違い確実性に於いて不十分
な要素を多く含んでいると考える。
その決め手はリアル・タイムの真実性と数
値化が困難である点でしょう。現在では科
学技術を使用・利用する事で歴史に新たな
メスを入れ、その真実性に迫ってる訳です
ね。
そう云う意味では芸術に於ける作品は作者
の妥協点で完成としてる訳で妥協がある限
り、作者に於いては永久に未完成の作品と
云う概念なのだろう。
それだけ100%は難しい領域なのです。
人物像などというものは、仮に歴史的資料の原典資料を直接調べても、所詮は解釈ですからね。(笑)
大きな歴史の流れや、個々の出来事についても同様です。
大切なのは、どういう資料をどれだけ調べて判断しているのかを把握すること。それを知らなければ、信憑性も分かりません。
私のコメントを読んでいただくとわかりますが、北条早雲伊勢宗瑞新九郎の解明は、学者たちが知らなかった「伊勢国射和村いざわ」にあります。応仁記を熟読仕切れなかったミスです。歴史には落とし穴があります。学者たちは伊勢の素浪人を「本人が演じたこと」を見ぬくことが出来ず在らぬ方向に解釈しました。伊勢の素浪人は、新九郎自らが、望んだからです。